まじかるヒュプノシス

プロローグ 催眠術をもらったよ

「はぁ〜」
 耕一は重い気持ちで、昼の隆山の商店街をてくてくと散歩していた。昨日のプールのデート以来千鶴は耕一に対しては不機嫌な態度を取り、謝ろうとしても取り付く島もなかった。
「(ううっ、これじゃクーラー要らないくらいだよ)」
 耕一はそんな思いを感じながら今朝の朝食を食べていた。あれから一向に気分は晴れない。本屋で本を立ち読みしても面白がって読む気にはなれなかった。
「あーあ、千鶴さんと何とかして仲直りしたいよなあ…」
 耕一がそんなことを思いながら歩いていると突然バタバタと走る足音が後ろから聞こえて、何者かがドンと耕一にぶつかってきた。
「こらっ、ボーッと歩いてんじゃねえよ」
 続け様に怒鳴られる。声の主はえらく背の高い男だった。風呂敷に包まれた荷物を胸の前に抱え、足早に駆け去って行く。咄嗟のことで耕一が言葉を失っていると、また後ろからバタバタ、パタパタと2人が走る足音が聞こえてきた。
「待てー、泥棒ー!」
「わーいどろぼー、まてまてまてー!御用だー!」
 今度走ってきたのは耕一と年の近そうな大学生くらいの男だった。彼の後から黄色いワンピースを着た10歳くらいの女の子が続く。どうやら彼らはさっき耕一とぶつかった男を追いかけているらしい。男はとても追いつけないと思ったのか、やけっぱちで喚いた。
「ああー、どんどん離されていっちゃうよー…誰か、誰か走ってるあいつを捕まえてください。あいつは俺の大事な商品を盗った泥棒なんです」
「何だって?そりゃ一大事だな…よし、俺も手伝うよ」
 耕一は男の走っていったほうへ向かってスタートダッシュを切った。引き離されていても走って普通の人間に追いつくことくらい耕一にはわけはない。あっという間に男の背中に追いつくと、
「この野郎、真っ昼間から泥棒とは太え野郎だな!」
 と怒鳴りつけた。
「何?あ、お前はさっきの…ぎゃあっ」
 男が追いついた耕一に仰天した隙に、耕一は男の頭に拳を振り下ろした。十分手加減はしたつもりだったがそれでも相当なショックがかかり、泥棒は耕一の食らわせた一発で気絶してしまった。
 やがて泥棒を追いかけていた男と少女が耕一に追いついた。捕物劇を目の当たりにして少女ははしゃいでいたが、男のほうはさんざん走って疲れたという顔だった。
「御用だ御用だ〜…ええい、神妙にいたせいっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……あぁ〜疲れたぁ〜。いやーどうもありがとうございました。あなたの人間離れしたスピードのおかげで泥棒を捕まえられました。それで盗まれた壺は…」
 お礼の言葉に何か引っかかるものを感じた耕一だったが、男は耕一よりまず盗まれたものが無事かどうかが気になっていて、恐る恐る泥棒の手から風呂敷包みを取り返し、包みを解いてそうっと桐の箱の蓋を開けると中の壺に事故がないか仔細に確認した。
「ああ良かった。これで今度のオークションで落とした目玉商品ダメにならなくてすんだよ…ところでお兄さん」
 男は壺の無事を確認して、また壺を桐箱にしまい終わったところで耕一に話し掛けた。
「ん?」
「このまま別れるのもなんですし、お茶でも奢らせてくださいよ。俺たち今鶴来屋に泊まってるんです。そこのラウンジへ行きましょう」
「いや、俺は別に…」
「いえ、あなたが泥棒を捕まえてくれたおかげでこの壺を取り戻せて、大事な商品がパーにならずにすんだんですから、ぜひともお礼をしないと俺の気がすみません!」
 男は耕一に本当に感謝しているというようにと頭を下げて言った。耕一はそこまで言うなら付き合わなけりゃ悪いな、と思って男の誘いに乗ることにした。

 鶴来屋のラウンジでオーダーを通すと、男は改めて自己紹介した。
「ご挨拶がまだでしたね、すみません。俺、桜本町で『五月雨堂』っていう骨董屋の経営をしてる宮田健太郎っていいます。本当は大学生なんですけど今ある事情で休学中なんでエヘヘ…、で、こっちは俺と一緒に暮らしてるスフィー。小さいけどこう見えても21歳でね、うちの店もよく手伝ってくれてるんですよ」
「スフィーです。よろしくね、お兄さん」
 健太郎の隣に座っている、スフィーと呼ばれた少女が耕一に頭を下げた。今度は耕一が自己紹介する番である。
「へえ、じゃあ俺たちそんなに年違わないね。俺は柏木耕一。俺も大学生だよ。今夏休みで従姉の家に泊まりに来てんだ」
「柏木…す、するとお兄さんはここの会長の親戚ですか?そそそれは知らぬこととは言えとんだ失礼を…」
「そんなに畏まらなくても耕一って呼んでくれていいよ。確かに千鶴さんは俺の従姉だけど、俺は人よりちょっと力があるくらいが取り得の平凡な大学生なんだから」
 耕一の素性を知った健太郎は恐縮したが耕一は受け流し、会話をつないだ。
「ところで、桜本町の骨董屋さんがどうして隆山に来てんだい?」
「ああ、今鶴来屋の宴会場を借りて昨日と今日の2日間、地元の古物商組合主催の結構規模の大きいオークションが開かれてるんです。有名な業者もいくつも参加してて、レアものが出るかもしれないから俺たちも来ないかって知り合いの業者に誘われましてね。それでこちらに滞在してオークションに参加してるんですよ」
「そうか。隆山くんだりまで仕入れに来るなんて大した行動力だねえ。俺にはそんな真似とてもできないよ」
「いえいえとんでもない…」
 その時ウエイトレスが注文した飲み物と食べ物を持ってきて、一旦会話が途切れた。
「お待ちどうさまでした」
 スフィーの前に置かれた10枚重ねのホットケーキを見て耕一は仰天した。
「ええっ、これ全部スフィーちゃん一人で食べられるの?」
「うんっ、あたしホットケーキ大好きだもん。いただきまーす」
 ご満悦の体でホットケーキを食べるスフィーをよそに、健太郎が耕一にさっきの続きを話した。
「うちは本当なら遠路はるばるここまで来れないしがない骨董屋でね、その知り合いの業者の方が交通費や宿泊費、食事代まで必要経費一切出してくれるって言ってくれたからオークションに参加できたんです」
 そこで健太郎は声を潜めて付け加えた。
「ましてうちにはあの通りよく食べるツレがいるでしょ?ホットケーキの10枚や20枚なんていつも平気で食べちゃいますよスフィーは。おかげさまでうちはいつも食費の支出でヒイヒイ言ってるんです」
 そこでスフィーがピクッと反応した。
「むっ、けんたろ、何か言った?」
「え?いやいや、何でもない、何でもないよ」
 慌てて弁解する健太郎。その後彼は大げさに溜息をついた。
「いや、それはともかく耕一さんのおかげで助かりました。この壺は京都のある高名な陶芸家の作品で、やっとの思いでうちが競り落とせた昨日のオークションの目玉商品だったんです」
「俺は陶芸のことはよく分からないけど…そんなに価値のあるものなんだ?」
「ええ、痛い思いはしましたけど、ちょうど前からあの人の作った物を欲しがってたお得意さんがいましてね。入ったらいくらでもいいから俺の言い値で買うとまで言ってくださって、これで当面はやりくりも楽になると喜んでるところなんですよ」
「そりゃよかったね」
 耕一は健太郎と他愛もない会話を交わしていたが、ふとスフィーのほうに目をやるとスフィーは好物のはずのホットケーキを5枚食べたところで
「うりゅ?」
 と言いながら耕一の顔をジッと見ていた。
「ん、どうしたのスフィーちゃん?俺の顔に何か付いてる?」
 耕一は怪訝そうに聞いた。
「スフィー、耕一さんの顔じろじろ見てるなよ。失礼じゃないか」
 健太郎が少女を叱る。
「うゆ〜…だってこのお兄さん、何か悩み抱えてるみたいだったから気になって」
 スフィーは健太郎に言い、ついで耕一に話し掛けた。
「こーいちさん、だっけ?悩みがあるならあたしたちで良かったら相談に乗るよ?」
「うーん、けど相談に乗ると言われてもねえ…」
「耕一さん、何かあるなら話してみてくださいよ。これも助けていただいたお礼ってことで俺もスフィーも相談に乗りますよ。何でしたら話すだけでも胸のつかえが下りるかもしれませんし…」
「そうかな。じゃあ…」
 耕一は昨日のことを健太郎とスフィーに話した。
「そうですか。それじゃ仲直りは難しいですよね。千鶴さんが頭ごなしに耕一さんの話聞いてくれないんだから………」
 健太郎は腕を組んでしばらく黙っていたが、やがて何か思いついたようにポンと手を打った。
「そうだ。耕一さんにおすすめの物がありますよ。ちょっと待っててくださいね」
 健太郎は席を立って客室のほうへ行って、10分程して戻ってきた。平たくて四角い、アクセサリーのケースのような箱を手に持って。
「これです」
 健太郎が箱を開けて見せると、中には「肩こりに効く」という触れ込みで売られているネックレスとちょうど同じような首飾りが入っていた。
「何だいこれ。スポーツ選手がよく首にかけてるネックレスみたいだけど」
「これも昨日のオークションでうちが落札したマジックアイテムで、これを付けて暗示をかけながら人の目を見ると、相手を思った通りに操ることができるんです。催眠術みたいにね」
「へえ、面白そうだな」
 耕一は興味を持ったようだ。
「これを使って千鶴さんに機嫌を直してって念じてもらえば仲直りできるでしょう。ただし1回目に使った時から3日経つと使えなくなってしまいますから気をつけてくださいよ。1日の間なら何回でも使えますけどね」
「うん、これさえあれば大丈夫みたいだな。ありがとう。で、これはいくらだい?」
「いえいえ、お金はいりません。恩人の耕一さんですからそれはプレゼントしますよ」
「けんたろ、これは高いアイテムでタダであげちゃうとムググ…」
 健太郎は耕一が財布を出そうとしたのを押し留め、眉を八の字にしてツッコミを入れようとしたスフィーの口を手で抑える。
「構わないよ。みどりさんは壺をいくらででも買うって言ってくれたんだ。その金さえ入れば少しの赤字くらいどってことないさ」
「(……しかしマジックアイテムって言われてもすぐには信じられないなあ)」
 半信半疑の耕一はまずこの場でネックレスの効果の程を試してみたくなった。耕一はネックレスを首にかけると、後ろから口を健太郎に押さえ込まれているスフィーの目を見つめて心の中で暗示をかけた。
「(スフィーちゃん、君はだんだん眠くなる)」
「んぐっ!?」
 自分が催眠術にかけられそうなことに気づいて動揺したスフィーだったが、すぐに目がトロンとなって、口からは欠伸が漏れた。
「ふわぁぁ…けんたろ、あたひ何らか眠くなっ……くー」
 スフィーはそのまま健太郎の胸にもたれて、寝息を立てながら眠りこけてしまった。
「こりゃ凄いや、効果覿面だな」
 耕一が驚いていると、健太郎はニヤリと笑った。
「でしょう?信頼できる筋からの出品でしたからね。ただ…」
「ただ?」
「これから3日間、そのネックレスで催眠術を使えるからってどうか悪戯には使わないでください。落札したうちの信用にも関わることですから」
 耕一はそんなことはしないと言いかけたが、
「ま、耕一さんは見たところ悪い人じゃありませんし、そんな心配はないと俺は思いますけどね」
 健太郎はすぐにフォローしてくれた。
「当たり前だよ。俺だって手が後ろに回るのは嫌さ」
 耕一の頭に、以前ある騒動に巻き込まれて警察の厄介になったことが浮かんだ。正直あの時は捕まるのは気持ちのいいものじゃないなと思った耕一だった。 その後耕一と眠りこけたスフィーを膝に抱いた健太郎の間で会話が交わされたが、やがて耕一はふとラウンジの壁に掛かった時計を見て、そろそろ帰らなければならないと思った。
「あ、もうこんな時間か。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「そうですか。今日はどうもありがとうございました……あ、頑張ってくださいねー」
 健太郎にそう言われて、ラウンジの出口で思わずずっこける耕一。他の客がクスクス笑う。
「(ったく、何だよいきなり…)」
 思いもかけないことを言われて驚いた耕一だった。

続く

目次に戻る

戻る
動画 アダルト動画 ライブチャット